教えるということへの考え方
〜ピポブル第332回〜
どーも、こうたです(^ ^)
今回は教えるということへの考え方について書いていこうと思います。
1 教えるということへの考え方
最近になって思うのですが、「教える」ということの効果が薄くなっているような気がします。
どの場合でもそうなのですが、筋道を立てて理論通りに教えたとしても、それをそのまま受け入れて実行したとしても、『効果が見込めない』、なんてことがよく起きているような気がするのです。
マニュアルを上手く飲み込めない、吸収できない、たとえ出来たとしても上手く出来ないなんてことが起きているということです。
これはきっと「教えかた」が悪いということではなくて、単純に「教える」だけでは足りないのかもしれないということに気づかないといけないのかもしれません。
もっと根本的に思考に刺激を与える必要があるのかもしれません。
2 相手の脳に刺激を与えるという考え方
「教えたい」と思う相手の脳に刺激を与える方法、例えるなら絵画やピアノの演奏などを聴いた時のような刺激(インスピレーション)が必要なのかもしれないということです。
相手が「自ら知りたい」と思えるような刺激がいるのかもしれないということです。
例えば、「教えたい」と思う相手に対して「教えたい」ことを自らが示して、それを相手に見てもらうということですね。
その姿を見て相手がどう思うか、その『振り幅』が教えるということの効果なのかもしれません。
相手に「教えたい」のなら、まずは自らが示す必要があるということですね。
3 まとめ
「教える」ということの効果を濃くするには「自らが相手の脳に刺激を、インスピレーションを与えるような行動をして示す」という考え方もできると思います。
「その相手に教えたい」ことを自らがお手本となって示すことが一番の方法だと思います。
考えてみれば基本的なことだとは思うのですが、これが一番効果があるような気がします。
読んでいただきありがとうございました^ - ^
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