教える側も教えられる側も意識したい考え方
〜ピポブル第162回〜
どーも、こうたです(^ ^)
今回は教える側も教えられる側も意識したい考え方について書いていこうと思います。
1 教えると怒るの違いについて
教えることは意外と自分が思っているよりも難しいことだなと思うのです。
教える側が自分の気持ち(主観)が強ければ強いほど相手には伝わりづらく、最後は『こんなに想っているのに、どうしてわかってくれないんだ』という言葉が飛び交ったりすることがあると思います。
教えていたはずなのに、いつの間にか怒っていた時がありませんか?
怒ると教えるは似ているようで違います。
教えるとは相手のことを思って言う言葉や態度であり、怒るとは自分が伝えたい気持ちが強すぎることで、いつの間にかエゴが強まってしまい、相手が100%悪いように思えてしまうことだと思います。
そんな時、教えられている人は『なんて高圧的に物を言う人なんだ』という反感の気持ちが芽生えます。
2 教えるとは『愛』のみであるのが望ましい
教えるということは 簡単なようでいて、とても難しいことだと思います。
会社の上司、親、また学校の先生などは細心の注意を払って対応しても、ときどき失敗してしまい反省することが多いのではないでしょうか?
そして、教えられている側は反感を持ってしまいがちですが、何年か先に自分が上司や親になった際に、教えることの難しさにきっと気づくかもしれません。
教えるとは『愛』のみであり、自分の承認を求めてはいけないような気がします。
ですから、『こんなにも想っているのに』という気持ちが出てしまうと、それは単なるエゴかもしれないということです。
子供にどんなに反抗されても、部下にどんなに認められなくても、純粋に相手のことを想っていれば、反感を持たれることさえも想定の範囲内になるのではないかと思うのです。
このように教えてくれる人に出会えたのなら、きっとその人もまた教え上手になり、世の中の負の連鎖が弱まり、きっと幸せな世の中になるのかもしれませんね。
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3 まとめ
教える側は『愛』を持って教えることが大事であり、怒りの感情は抑えることが望ましいことだと思います。
そうは言っても、なかなかできないのが現実だと思いますが、できるように意識するのと意識しないのとでは だいぶ差が生まれると思うのです。
愛を持って教えられるように意識して生活するという努力が大事なのかなと思います。
読んでいただきありがとうございました^ - ^
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