尊敬できるところが一つでもあると長続きしやすいということ
〜ピポブル第313回〜
どーも、こうたです(^ ^)
今回は尊敬できるところが一つでもあると長続きしやすいということについて書いていこうと思います。
1 尊敬できる部分が一つでもあると大丈夫なのかもしれないということ
人間関係において夫婦でも職場でも相手に尊敬できる部分が一つでもあると修復されていくような気がします。
人は相手の良いところを吸収していこうとする性質があるためです。
「終わりにするのはもったいない」と核の部分で、そう囁かれるのかもしれません。
そして、大切なのは相手の尊敬できる部分は自分で見つけ出すということです。
悪い部分ばかりが表面化され目立つため、良い部分は雲に隠れて見えなくなってしまうからです。
2 長い目で見るという考え方
悪い部分を三箇所ほど連続して見つけてしまうと「この人はもうだめだ」と大半の人が思ってしまうのではないでしょうか?
反対に良い部分を三箇所連続して見つけてしまうと俗にいう「あばたもえくぼ」になってしまう、どんな欠点でも長所に見えてしまうのではないかと思います。
ですから、最後の最後まで長い目で観察してあげることによって切らなくても良い人間関係もあるのではないかと思うのです。
以前にも書きましたが、自分の秤と同じように相手からも見られるということを忘れてはいけないと思います。
3 まとめ
「仏の顔も三度まで」ということわざ通り、三回で「もうだめだ」と決めつける人は自分も三回の失敗で「もうだめだ」と思われてしまいます。
ですから、たくさん失敗する相手に対しても大目に見てあげられる人は自分のミスも大目に見てもらえるはずです。
こちらが尊敬できるところを一つでも見つけて人間関係を修復していきたいものです。
読んでいただきありがとうございました^ - ^
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