ピポブル 〜思考のアップデート〜

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土足で踏み込まれた時に考えたいこと

〜ピポブル第268回〜

どーも、こうたです(^ ^)

今回は土足で踏み込まれた時に考えたいことについて書いていこうと思います。

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1 腹が立った時に自分が気づいていないこと

腹が立つことがあった時に「図星だから腹が立った」と思いがちですよね。

ですが本当のところは図星だから腹が立ったのではなくて、『まさかここまで言うと思わなかった』という気持ちがあって、腹が立ったのではないでしょうか?

つまり、『予想外なことを言われて腹が立った』ということです。

人は予想通りのことを言われた時は、「まぁ、そうだよな」と思って、どこか俯瞰した気持ちになるので腹が立ちづらいです。

 

予想外のことをされて腹が立つ人は、自分もまたどこかで予想外のことをして誰かを怒らせているかもしれません。

例えば、相手の気持ちに土足で踏み入ることですね。

相手の気持ちに土足で入っていくようなことを平気でしている人は、自分もまた誰かから土足で入ってこられるということです。

土足で入られた時に腹が立つ人は、自分が誰かの気持ちに土足で入ったことがないかを胸に手を当てて思い出してみると良いかもしれません。

なぜなら大抵の場合、土足で入ってこられて腹が立つ人は自分が土足で人の気持ちに入っていることに気づいていないからです。

言葉の一つ一つ、話す内容の一つ一つに誰かの気持ちへ土足で入るような内容があるかもしれません。

人の気持ちを踏みにじっているかもしれないという認識があると、少しは気をつけることができるのではないでしょうか?

 

2 『保身か愛か』で腹が立ちやすいかどうかが分かるということ

保身が強い人は土足で人の気持ちに入りがちです。

自分を守ることに精一杯で、自分以外の誰かの気持ちに知らず知らずのうちに土足で入っているかもしれません。

そして、保身・自分を守ろうとしがちな人ほど、腹が立ちやすいです。

なぜなら、自分を守るために神経が鋭くなっているので、常に追い込まれているような状況を自分で無意識に作り出しているからです。

精神的に追い込まれると、どんな人でも腹が立ちやすいです。

これとは反対に自分を守ろうとしない人は土足で入ってこられても平気です。

わかりやすい例えは、裸足で泥遊びをした子供(あるいは他人)がそのまま足を洗わずに家に入ってきて、綺麗なフローリングの床を踏んで汚した時にイラっとくるか、こないかということです。

イラっとくる人は保身に傾いていると思います。

イラっと来ない人は愛に傾いていると思います。

イラっと来ない人は、犠牲に対しての耐性があるから、愛があるのです。

 

3 まとめ

愛は保身とは反対の立ち位置にあると思います。

つまり、犠牲になれる人は愛があるということです。

誰かの犠牲があると、必ず誰かがその犠牲のおかげで幸せになっています。

犠牲によって自分以外の誰かが幸せになっているのです。

それをよく自己犠牲と呼んでいますよね。

自己犠牲は最大の利他行動だと思います。

それができる人は、とても強い人格の持ち主です。

自己犠牲ができる人格の持ち主は自分の才能や力を振り絞らなくても、周りの誰かから助けてもらえて成功していくのではないかと思います。

これとは反対に保身が強い人は、自分の才能や力を振り絞って成功をしていかなくてはならないので、厳しく険しい道を進むことになるのではないかと思います。

 

読んでいただきありがとうございました^ - ^

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