分かってもらいたがると、分かってもらえないということ
〜ピポブル第142回〜
どーも、こうたです(^ ^)
今回は分かってもらいたがると、分かってもらえないということについて書いていこうと思います。
1 わかってもらおうとするのが間違いなのでは?
ほとんどの人間関係のこじれは、双方がお互いに分かってもらいたがるからなのではないでしょうか?
お互いが自分のことをわかってもらいたがることによって、問題は永久に平行線になりますよね。
ですから、ここで愛のある方が引くしかないのです。
強い方が引くしかないということです。
『わかってもらえなくて良い』と思うという、我慢して終える方法しかないのかもしれません。
結局のところ、自分をわかっているのは自分であり、誰かにわかってもらおうと思った瞬間に、傷が深くなりやすいものです。
わかってもらおうと言う期待が自分を傷つける刃となるのです。
2 わかってもらおうとする感情
理解してほしいという承認欲求は誰にでもありますよね。
しかし、今の世の中、わかってもらえなくて良いと思うことでしか抜け道はないのではないでしょうか?
承認されなくても良いと思える人、悪者のふりをした一人の強い人によって、少しずつ気づいていける人がいるのではないかと思います。
こんなことは、あくまでも理想ですが。
前回の記事の続きを書きますが、自閉症の弟の問題に着いて書いておきます。
今日、学校で『先生の思いが伝わらないのか』という説教じみた会話になったそうです。
下痢をしながら行ったにも関わらず、先生は『どうして先生の気持ちがわからないのか』という思いになったそうです。
そして、先生同士で徒党を組み始めました。
関わりたくないという先生もいますが、先生同士が保身のために協力し合っています。
弟にでさえ、そのような気持ちが分かりやすく伝わったそうです。
以前どこまで訴えても理解してくれない一人の母親が教育委員会に訴え、それでもわかってもらえず、最終的には文部科学省にまで訴えました。
わかってもらうにはここまでしなければならない日本の社会はどうかしていると思います。
結果は多くの子供に傷を残しました。
3 まとめ
わかってもらおうとした時から、わかってもらえないような気がします。
わかってもらえなくても良いと思う気持ちでいたほうが、状況は良い方向へ進むのではないでしょうか?
エゴを手放して、執着を捨てるには、私もまだまだ時間がかかりそうだなと思う今日この頃です。
読んでいただきありがとうございました。
↓ランキングに参加していますので、クリックしていただけると嬉しいです。