遺伝子を遡って考えた時に分かること
〜ピポブル第229回〜
どーも、こうたです(^ ^)
今回は遺伝子を遡って考えた時に分かることについて書いていこうと思います。
1 遺伝子からくる欠点を責めて落ち込む必要はないのかもしれない
人の遺伝子は相当細かく千差万別になっていますよね。
その遺伝子を検査すると刻み込まれている遺伝子の中には過去のトラウマがあるのかもしれないと思うのです。
自分の中でどうしても嫌いだと思ったり、なぜだか分からないけど好きだと思うことは、もしかしたら遺伝子に刻み込まれた記憶のようなものが関係しているのかもしれません。
何もないないところから生まれてきたわけではないので、遺伝子のつながりというのはあると思うのです。
だから自分の何かちょっとした欠点だと思うことを自分のせいだと思わなくても良いのかもしれません。
まぁ仕方がないことなので、落ち込む必要はそんなにないのかもしれないということで
す。
2 短所長所を決めるのはここの判断だということ
遺伝子の組み込まれ方は人それぞれです。
みんな口には出さないけれど、みんな自分の欠点を持ちつつ生きています。
その欠点は自分なりに消化していけば良いのではないでしょうか?
そして、欠点を消そうとしなくても良いのではないかと思うのです。
遺伝子は残っていくものです。
なので、あまり重く受け止めなくても良いのではないかと思うのです。
自分が欠点だと思っていることでも、違う誰かにとっては長所に見えることがあります。
短所長所を決めるのは個々の判断だということです。
どこかで自分を責めている人は気にしない方が良いのかもしれません。
3 遺伝子を遡ると他人も自分と同じなのかもしれないということ
遺伝子を遡れば、意外と遠い親戚の方が多くいるのかもしれません。
1億年前まで遡って考えた時、今現在、他人を責めていたとしても、それは自分自身なのかもしれません。
つまり、遺伝子を遡って考えた時、相手を他人と考えるのではなく、遠い親戚だったのかもしれないと考えられるということです。
少なくとも同じ日本人ならば、相手の細胞にも自分と同じ細胞があると思えるのではないでしょうか?
相手を責めていることは自分を責めているのと同じなのかもしれません。
そして、それは免疫疾患と似ているような気がします。
4 まとめ
正論を言う時は、きっと何かを否定した上で成り立っているのかもしれません。
その否定をしているのがDNAをいじめているのと似ているのかもしれません。
裏に隠れた否定の気持ちが免疫疾患を起こしやすく病気になりやすいのかもしれません。
相手を責めるのは自分の細胞をいじめているのと似ているから、相手を責めると病気になりやすいのかもしれませんね。
読んでいただきありがとうございました^ - ^
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