声に出さないほうが理解されることがあるということ
〜ピポブル第170回〜
どーも、こうたです(^ ^)
今回は声に出さないほうが理解されることがあるということについて書いていこうと思います。
1 声に出さなくても、あなたのことを見ていてくれる人がいる
新しい職場や新しい環境において、不安なことばかりの人もいるかと思います。
自分というものを表現するために前へ前へと出ようとする人もいる中で、どうしても臆病になり引っ込んでしまう人もいると思います。
しかし、声に出して自分を表現しなくても必ず人はきちんと見ているということを忘れずにいたほうが良いかもしれません。
1日1日誠意を持って生きている限り、必ず分かってくれる人はいるということです。
そして、分かってくれる人が近くにいなくとも、必ず近いうちに現れてくれると思うのです。
本当の希望というのは、失った時に初めて見えてくると思うのです。
いわゆる挫折というのを味わうたびに自分の中で何が大切か変化していくと思うのです。
2 声に出さずにいることで、新たな希望が現れる
理不尽や裏切りのなかで、希望を失ってしまった際、また新たな希望というのは違う形で登場してくるのではないでしょうか?
声に出して自分をわかってもらうことも時には大切かもしれませんが、言わなくても大丈夫なのかもしれません。
言えば言うほど人は反発しやすいものなので、理解されづらくなっていく場合が多くあるからです。
この時期は多くを語らずに黙って周囲をよく観察していると、色々なことが見えてくるかもしれません。
そして、自分で良いことも悪いことも経験した上で自分なりに何かが見えてくると思うのです。
選挙も終わり、新しい年号がくる今、一生懸命訴えるのは政治家だけで十分なのではないでしょうか?
声を使うと勘というのは落ちてくるような気がします。
声を出して訴えることは簡単ですが、声を使うと信憑性が疑われやすいような気がします。
選挙の演説をどれくらいの人が信じているでしょうか?
それと同じかもしれません。
3 まとめ
何を信じて良いかわからない、今、声を出して訴える方がリスクが高いかもしれません。
ですから、声に出して言わなくても大丈夫ということを今日は言いたいと思います。
無理に声に出して言うことで伝わることもあるかもしれませんが、それでは疲れると思うのです。
声に出さずに耐え忍ぶ精神力を養いたいものですね。
読んでいただきありがとうございました^ - ^
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