何がおきても大丈夫だということについて
〜ピポブル第123回〜
どーも、こうたです(^ ^)
今回は何がおきても大丈夫だということについてかいていこうと思います。
1 何がおきても大丈夫だということ
いつも良い日が続くとは限りませんよね。
晴れの日もあれば嵐の日もあるのがこの世界です。
そんな中で大切なことの1つは、ただ波乗りのように体を浮かせて波に乗ることだということです。
波に抵抗すれば、溺れてしまいますよね。
ふわっと軽い心でいられることが大切だということです。
問題は乗り越える力も大切ですが、それ以前に問題を問題だと思わない力も必要なのではないでしょうか?
自分の人生を振り返った時、ほとんどの事柄は大したことではなかったことに気づくはずです。
なぜなら、悩んでいた出来事が今の自分にとってはもう大したことではないと思えるからです。
だからこそ、今、何かに悩んでいても後になって大丈夫だと思えるようになります。
経験を重ねることで大したことではないと思えるからなのかもしれませんね。
2 歳をとると、起きた出来事の感じ方、受け取り方が寛大になる
今、何がおきたとしても後で思うことは懐かしさだけです。
純粋に心配していた自分を可愛く思える自分になっているはずです。
そういえば、あの頃はこんなことで悩んでいたのかと思う時に、過去の自分を可愛く思えるかもしれません。
例えば、子供にとって重大な事柄は大人にとっては大したものではないですよね。
大人にとって重大な事柄は老人にとっては大したことではないはずです。
それと同じように、今現在、自分にとって生きるのがツライほど嫌な状態でも20年後、30年後の自分から見ると、愛おしいだけかもしれません。
今、あることはきっと自分にとって必要なことなのだと認識して乗り越えると言うよりは、糧にしていくことが望ましいのかもしれないと言うことです。
そして、一番気をつけなくてはならないのは、以前の記事にも書いていますが、周りの人(家族)を信じることではないでしょうか?
家族とはどんなに腹がたっても一生付き合う相手です。
今だけを見て善悪の判断をしてしまうと、あとで後悔する可能性があります。
自分の判断をある程度は信用しているのが人間です。
最後は自分が決めていることが多いですよね。
自分の判断を完全なものとしたいというのは、誰にでもあるということです。
ですから、人を信じれない状態で判断をした時は、必ずと言っていいほど後悔します。
なぜなら、完全な自分の決断になれなかったからです。
3 まとめ
信じなかったということで、自分に後悔という汚点がつきます。
ですから、後悔という汚点をつけないためにも、どんなことが起きても大丈夫だと思えると良いですよね。
相手を信用して、自分の判断を信用して、後悔という名の汚点がつかないようにすることが最善の生き方の1つだということです。
ここまで読んでいただきありがとうございました^ - ^
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