助けた分だけ助けてもらえる法則
〜ピポブル第5回〜
どーも、こうたです(^ ^)
今回は助け合いについて書いていこうと思います。
1 因果応報はよくあるということ
みなさんは大事なことがあるときに神様にお願いすることがありますか?
私は神様にお願いすることがあります。
大事な試験の時とかですね。
みなさんのなかにもお正月に神社でお願いをする人もいますよね?
お願いしてもどうにもならない時もありますが、奇跡が起きたことだってあるはずです。
奇跡が起きる人と起きない人の違いはなんでしょうね?
世の中には正しいことをしているのに苦しんでいる人がいる一方で、嘘をついたり適当なことをしている人が簡単に助かっている場面があります。
世の中は不平等で理不尽だと思うかもしれません。
やっぱり神様はいないんだよなと思うかもしれません。
昔からある言葉で因果応報という言葉がありますよね。
この言葉の通り、良いことをするとその分だけいつか自分に返ってくるということが言えます。
この反対に悪いことをしたらその分だけ返ってくると言う解釈もありますよね。
前者の意味の場合は良い種をまくと良いものが返ってくるということで自分が救われることがあると思います。
後者の場合は罪を犯せばその分だけの報いが帰ってくるとも言えるのかもしれません。
例えば前者の例ですが、車を運転している時に道を譲ると、今度は自分が他の誰かから道を譲ってもらえるということですね。
2 厳しくして厳しくされるか、優しくして優しくされるか
ずるい人を許してあげると自分がずるいことをしたときに許してもらえます。
バレないで済むことだってあります。
これはなぜかというと清算されるからです。
何と清算されるのか?
それは過去の善行と帳尻合わせして清算されるのです。
お調子者の人やずるいと思われる人は人知れずに許したり、善行をして徳を積んでいたりしています。
許容範囲が良い意味でも悪い意味でも広いということです。
ですから、誰かに対して行った良いことは返ってくるということです。
それがいつなのかは、人によってバラつきがありますが、必ず返ってきます。
許したり・譲ったりなどの善行を積む循環に入ることができたら、誰かに足を引っ張られることもなくなります。
そして、自分の進みたい道を誰にも邪魔をされずに進むことができます。
悪いことをしている人がいても、ある程度のことは許してみると良いかもしれませんね。
人の失敗に対して大目に見れる人というのは自分も失敗したときに寛大に受け取ってもらえるものです。
一方で正義感を強く持って人に対して厳しくしていると、その分だけ周りの人から厳しくされることがあります。
どちらを選択するかは好みの問題です。
厳しくして厳しくされるか、優しくして優しくされるか、どちらでも良いので好きな方を選ぶと良いのではないでしょうか?
ただはっきりしていることは『人を助けた分だけ自分が助けてもらえる』ということです。
助けた分が善行の貯金となり困った時に清算にあてがわれるということです。
なので、困った時に使える善行の貯金はある程度あった方が良いですよね。
3 まとめ
因果応報ということもあるので嫌な人に対しても助け合いの精神が必要なのかも知れません。
助け合うことで前に進むことができると思います。
昔から『自分にされて嫌なことは他の人にもしない』と言う言葉がありますよね。
この言葉の通りに生活しているだけでもだいぶ善行を積むことができます。
善行はいつか必ず自分を助けてくれるものだと思うので、少しずつ善行を積んでいきたいものですね。
読んでいただきありがとうございました^ - ^
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