感謝が湧く時の思考
〜ピポブル第309回〜
どーも、こうたです(^ ^)
今回は感謝が湧く時の思考について書いていこうと思います。
1 感謝が湧く時の思考
自分よりも過酷な不幸を垣間見た時、自分の不幸に対して感謝が湧く時があると思います。
お葬式の後には意地の悪いお年寄りも優しくなるそうです。
仕事でもそういうことがあります。
他人の失敗やミスを見た時に自分の不幸が一瞬だけ思考から消えるというような。
これらは感謝が湧いてすっと雑念が消えるようなことだと思います。
それは無になるのと似ていると思うのです。
人の不幸を垣間見た時に無になるということです。
自分の環境、自分の境遇を「ああよかった」と思える、認めることができる。
それは自分以外にも過酷な人生に挑んでいる人を見て鼓舞されるからなのかもしれません。
そして、自らの環境に感謝が湧くのだと思うのです。
不幸というのには原因はないような気がします。
悪くもないのに突然亡くなったり、怒られたりするのはいつでもどこでも誰にでも起こりえることだからです。
2 本当の自分に戻れる瞬間
逃れようもない不幸を目にした時に、今自分が普通なのだということを思い出します。
普通なんだと思い出した時に本当の自分に戻れるのかもしれません。
例えば、怒りの感情を抑えられず外に出した後でも、感謝の気持ちが湧くことで、さっきまでの自分は自分じゃなかったんだと思えるんだと思います。
今の自分が、感謝している自分が本当の自分だと思えるのではないでしょうか?
人は元来思いやりがあって綺麗な生き物だと思います。
赤ちゃんの時から狂気染みた存在などいないですよね。
つまりは、純粋に綺麗だったその地点に戻ることができる、それが感謝の念なのだと思います。
お葬式など、人の不幸を見たら瞬間的にゼロポイント(綺麗だった頃)に戻れると思います。
「かわいそうだったな」とか「なんとかしてあげたかったな」と思えるようになるのではないでしょうか?
その気持ちが本当の自分の片鱗なのではないかと思います。
ちょっと変だった自分も自分であり、感謝や思いやりの気持ちを持つ自分も自分であるということです。
人の不幸を見ると本当の自分に瞬時に帰れるのかもしれません。
3 まとめ
捨て猫がまだ多かった頃、猫の不幸を垣間見た時に「かわいそうだな」と思ったことがある人も多いかと思います。
「かわいそうだな」と思う気持ちは誰にでも持っている感情だと思います。
不満が蓄積して溜まってきた時は自分のことで精一杯になりがちですよね(私もです)
ですが、冷静に周りを見たときに、自分の不幸が大したことがないと思うこともできるのではないかと思います。
読んでいただきありがとうございました^ - ^
↓ランキングに参加していますのでクリックしていただけると嬉しいです。