結果が出ないものを愛せるか
〜ピポブル第319回〜
どーも、こうたです(^ ^)
今回は結果が出ないものを愛せるかについて書いていこうと思います。
1 難しく結果がでない問題こそ愛せるかどうかということ
今までの時代はある程度努力をしてきたから、それなりの結果が出る時代でした。
特に昭和はそのような時代だったような気がします。
それが平成になって徐々にいじめなどの学校問題に関しても難しく闇が深まってきたような気がします。
そして、これからの令和は自然災害に関しても突然の出来事が多くなり今まで苦労してきたものが一瞬で失われる人が出ていています。
「この先どうしたら良いのだろうか」と思うことは会社においてもAI化が進むにつれて多くなるのではないでしょうか?
そこで結果が出ないような勝算の低いものを愛せるかという難しい問題に直面するのではないかと思います。
2 勝算がないことを受け入れるということ
住めなくなったような土地を離れる人も出てくるでしょうし、いつまで経ってもわかってもらえない会社とは、さよならを選択したくなりますよね。
しかし、家族においてはそうもできないのかもしれません。
私の同居している祖母は年々認知症が悪化してきました。
まだ家で生活できる状態ですが、最近悪化が止まってきました。
病院で母が先生に聞かれた時にこう言ったそうです。
「良くなるようにと思うことを諦めました」と。
これは投げやりになったということではなく「仕方ない」と思うことであり、この先に勝算がないことを受け入れるという意味を主治医はすぐさま読み取り、「それがいいですよ」と笑って答えたそうです。
3 まとめ
結果がでないかもしれないものを愛するには人生という長い長い経験が必要なのかもしれません。
読んでいただきありがとうございました^ - ^
↓ランキングに参加していますのでクリックしていただけると嬉しいです。