犠牲と愛、人への奉仕に関する思考の違い
〜ピポブル第318回〜
どーも、こうたです(^ ^)
今回は犠牲と愛、人への奉仕に関する思考の違いについて書いていこうと思います。
1 人への奉仕を犠牲と捉えるか、愛と捉えるかで大きく変わってくるということ
あなたは誰かに奉仕することを犠牲と捉えてしまうことがありますか?
犠牲と捉えるか愛と捉えるかで思考に大幅な変化が起きると思います。
正確にいうと人に奉仕することを犠牲と捉えてしまうと「自分ばかりが損をしている」というような思考に偏りやすくなり、不満が募りやすくなるということです。
人への奉仕を愛と捉える(犠牲と捉えることはしない)人は、どれだけ他人に尽くしても不満や苛立ちという感情が、その奉仕が原因で発生することはないのではないでしょうか?
私自身、誰かに親切にしたり、誰かの手伝いをしている時に「どうして自分ばかりが」と思っていたことがありました。
ですが、その気持ちは自分が犠牲になっているというある種の被害妄想的な思考から生じているのではないかと思ったのです。
人に奉仕することを犠牲ではなく愛だと思うようにしたことで、精神的にだいぶ楽に過ごすことができるようになりました。
2 誰もが自分が大切である、けれどそれと同等に他人を大切にすることができれば変わるのかもしれないということ
人は誰しも自分が大事だと思いがちです。
私自身も自分が大事だと思うことが多々あります。
他人のことは二の次と捉えてしまうのが一般的な思考なのかと思います。
その思考がやたらと犠牲という思考を生み出す原因になってしまっているのかもしれません。
自分を大切に思う気持ちと同等に他人に対しても大切に思うことができると、犠牲というような捉え方を変えていくことができるのではないかと思います。
3 まとめ
犠牲と捉えることから愛と捉えることに変えることで、他人への苛立ちというのは多少なりとも変化するのではないかと思います。
そうは言っても難しいことだとは思いますが、この思考を変えることで他人への奉仕で腹が立ってしまったり、不満を抱くことが少なくなるのではないでしょうか?
読んでいただきありがとうございました^ - ^
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