つらい人生は運命の人に出会う最短のコースなのかもしれないということ
〜ピポブル第305回〜
どーも、こうたです(^ ^)
今回はつらい人生は運命の人に出会う最短のコースなのかもしれないということについて書いていこうと思います。
1 人それぞれの道
良いことをしてもなかなか良いことが起きないという人はもしかしたら最短のコースを進んでいるのかもしれません(3 まとめの補足でわかると思います)
人生は山を登るのと同じことですから舗装された長い道で登っていくか険しい最短のコースで行くか、人それぞれだと思います。
前回の記事で良いことをする(善行を積む、徳を積む)というのは、登山の装備をするようなものです。
何かの時にきっと役にたつと思うからです。
そして、人生は正確な数字でできていると思います。
2 運命の人に出会うという過程は険しいということ
理不尽なことこそが最短のコースなのかもしれません。
人は人生の中で何度か運命の人に出会うと言われています。(恋愛に限らず)
運命の人に出会う前はなんども辛いことが連続するようです。
運命の人というのは結婚相手ばかりではありません。
ここで言う運命の人とは、「私はこの人に出会って人生が変わった」と言えるような相手のことです。
ゲームでも超激レアアイテムが入った宝箱を見つける前は困難であるという仕組みと似ています。
3 まとめ
前回の記事で徳のお話をしましたが、補足です。
ちょくちょく良いことが起きる人とまとめて大きく良いことが起きる人がいますが、これは当人の器の違いからくるものだと思います。
小さなコップは水を入れるとすぐにあふれてしまいますが、大きなコップではなかなかあふれませんよね。
水が善行であるするならば、あふれた分だけ幸せなことが起きると思うのです。
良いことをしているのに幸せになれない人は自分自身の器が大きいのかもしれません。
自分の器を基準に考えると不徳の部類に入ってしまうのかもしれないということです。
器は大きくなればなるほど幸せを感じづらくはなるのかもしれませんが、確実に大きく成長することができているのではないかと思います。
そして器が大きいことを実感できたということは、最短のコースを進んでいる証でもあるということです。
読んでいただきありがとうございました^ - ^
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