平成が終わる今、思うことについて
〜ピポブル第138回〜
どーも、こうたです(^ ^)
今回は平成が終わる今、思うことについて書いていこうと思います。
1 平成が終わることについての私の意見
最近になって私もそうですがブログや創作活動、ユーチューブで活動を始める人が増えてきているような気がします。
やはり、平成が終わるという影響が大きいのではないでしょうか。
平成が終わるから始めると言うことではなく、新しい時代に突入するからだと思います。
単に流行に便乗しただけではない、何か大きなことに気づいているのかもしれません。
今まで、世の中のどうしようもない現状に対して諦めていた人たちが少しずつ動き出してきたような気がして私は嬉しいです。
特に私より若い人たちの動きには感心させられる場面が多いです。
先日のブログにも書きましたが、世の中に対して否定の思いを直接ぶつけるのは、相手から跳ね返ってきやすいものです。
平成でしてきたことは世の中の悪に対し正面からぶつかって、更生させようとした動きが多かった気がします。
いわゆる『お互いの悪いところ探し』をして決着がつかないというような動きのことです。
しかし、この平成もあと少しで終わり、新たな年号となる今、『同じ方法ではダメだな』と気づいた人が増えていっているような気がします。
そのため次の年号では、悪に正面からぶつかることが減っていくのではと思うのです。
2 平らに成るのが平成だったのではないだろうか?
『目には目を』や平成に流行った『倍返し』はもう古いのかもしれません。
『自分から見ると相手が悪に見えていたに過ぎない』というような自分の主観やエゴに気づいたならば、相手の良い部分を見つけるという風潮が新しい時代なのかもしれません。
つまり、相手を責めることや自分の保身はもう古いのかもしれないということです。
平成の間、30年間も同じことを繰り返した結果、どんなに攻めても相手が変わることは少なく、悪い人というのは必ずどこかに逃げ口を持っているというのがよくわかったと思います。
ですから、違う方法を考えていくべきなのではないでしょうか?
綺麗な風景を見て、綺麗な心の人と触れ合って、自分を保つことがいつか大きな力になると思うのです。
新しい年号が来るのが今から楽しみです。
バイトテロやあおり運転のような悪いものと認識される存在が、平成最後にどんどん露呈し出しましたよね。
あと、いろんな人の悪事やスキャンダルも数多く露呈しましたよね(不倫や汚職、パワハラなど)
ほんと最後の最後でいろんな悪いと言う気持ちを引き起こさせる出来事が現れましたよね。
でも、相手を責めて自分を責めての繰り返しを平成の30年間ずっと続けてきたと思います。
この悪いものを悪いと思わせるものは同じ土俵の戦いです。
つまり、悪いものは悪いという『いびつな感情・でこぼことした感情』が平らになったのが平成なのかもしれません。
3 まとめ
平成とは悪いと思う気持ちが平らに成るという年号だったのかもしれません。
悪と善の対立はもう飽きたと思いませんか?
読んでいただきありがとうございました^ - ^
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