好きな人に嫌われて、なんとも思っていない人に好かれる理由
〜ピポブル第48回〜
どーも、こうたです(^ ^)
今回は好きな人に嫌われてなんとも思っていない人に好かれる理由について書いていこうと思います
1 好意は強迫観念を含んでいる
どうして好きな人には振り向いてもらえず、なんとも思っていない人には好意を寄せられるのだろうと思ったことがありませんか?
それは人は誰でも自由でありたいからです
好意とはその人が好きな自分でいることを続けなくてはならないという一種の強迫観念のようなものが含まれていると思うのです
好かれていることに対してのプレッシャーと自分のことを美化しているのではないだろうかという疑念があるのかもしれません
ですから『私(僕)のどこが好きなの?』と尋ねたくなるのです
そうしてその答えが的外れの答えだと一気に興味がなくなるという仕組みです
反対になんとも思っていない人に対してはごく自然に振る舞うこともできるしキャラづくりをしなくてすむというのが魅力なのです
誰でも感はあるのでキャラを作っている人には魅力を感じることができず、自然体でいる人に魅力を感じやすいものです
好きな人の前でも自分を作らず等身大でいれる心の強い人だけが両思いを勝ち取ることができるような気がします
でも好きな人の前では等身大以上の自分を見せたくなるものですよね
その弱い部分をも受け止めてくれるひと(心の広い人)であればよいのですが、多くの人は心が弱くお互いの弱さを受け止められないのが現実だと思います
こうして好きな人に振り向いてもらえず好きではない人から好意を持たれるといういわゆる三角関係ができてしまうのでしょう
2 ただ好きでいるという状況から抜け出すということ
好かれるよりも好きでいる方が楽ですよね
好きでいるのは自由です
しかも自分の好みを付け足すこともできます(妄想の中で)
片思いは一種のエゴのようなものです
エゴではなく愛に変わらなくては両思いには中々なりにくいものではないでしょうか?
愛とは他者を自分のことのように大切にする心であり、自分本意で自分の好みだけを優先にしてはいけないと思うのです
3 まとめ
相手の外見や状況がどのように変化しても大切にしていける心が愛ですから、自分の好み通りの人が好きだという人は注意した方がいいのかもしれません
自分の好みではないのに好きになった場合はそれは愛なのかもしれないですね
今回はここまでです
ここまで読んでいただきありがとうございました^ - ^
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