名誉欲は諸刃の剣である
〜ピポブル第27回〜
どーも、こうたです(^ ^)
今回は名誉欲は厄介な欲望であるということについて書いていこうと思います
1 欲望の中でも名誉欲は厄介である
人は誰しも欲を持っていますよね
しかしそれがいきすぎると『ゆがみ』 にもつながりますから気をつけないといけません
では、自分の欲をどのように扱えばよいのかについてこれから書いていこうと思います
仏教でいう五欲とは食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲です
一番厄介なのは名誉欲だと私は思います
確かに名誉欲は人が成長する上で必要な欲望なのかもしれませんがこの欲望には諸刃の剣的な性質があると私は思うのです
今の日本においてはある程度生活については保障されているので他の四つは自分の自制心でなんとかなる場合が多いと思います
しかし、この名誉欲だけは小さい頃からの教育や周りの環境によって植えつけられていくものだと思うので厄介なのです
2 名誉欲が厄介だといえる理由
名誉欲について今まで肯定されてきたなかで今更変わろうなんてなかなかできることではないと思いますが少しづつでも名誉欲への認識を改める必要があると思うのです
では、なぜ名誉欲への認識を改める必要があるのか?
それは名誉欲というのがどこまでも尽きることがない(終わりがない)という性質が厄介だからです
食欲や睡眠欲だとある程度で満足することができますが、名誉欲だと上限が地球でトップになる(神様的存在になる)まで加速して突き進む性質があるから厄介なのです
人を蹴落としても平気で上にいこうと思う人もいますよね
そういうことをすると人生の終わりの頃にふと昔の行いを思い出し罪悪感あるいは後悔のような感情があふれることがあるかもしれません(サイコパスなどの特殊な事例は除くものとして)
ではこの名誉欲を自制するにはどうしたらよいのか?
まずは名誉欲の根底にあるものを探り、その名誉欲を得た先に本当のよろこびがあるのかをよく考えてみる必要があると思います
どんなことでもそうですが先の先をみる先見の明は人が成長していく上でとても役に立つスキルだと思います
これをしたらどうなるか、その先には果たして自分は本当に満足できるのかをよく考えることが先見の明を身につけるための第一歩になるはずです
先の先のずっと先を見据えてそれが幸せ(光)であるか不幸(闇)であるかを認識するのとしないのとでは大きく違ってくるのではないでしょうか
不幸(闇)な結果が待ち受けているとした場合、その原因として考えられることの一つ(根底にあるものの一つ)としては名誉をもたなくては周りの人から承認されないのではないかという不安が挙げられます
すなわち、愛情に飢えている現状を名誉という名のステータスを身にまとうことで他者からの承認で補おうとしているということです
他者からの承認が愛情をもらえたのだと錯覚(勘違い)することはよくあると思います
家族や周囲の人に賞賛されることが愛情をもらえたということと錯覚するのです
不安のまま(飢えたまま)突き進むと落とし穴にハマるおそれがあり、最も危険なことではないでしょうか?
3 まとめ
近年、特にパワハラや政治や世の中で偉いと言われる(思われている)人たちの不祥事が目に見えるように増えてきているのもこの名誉欲が大きくなりすぎた結果なのではないかと思います
飢えた人がこれ以上増えないように(わたしもみなさんも)子供を育てる時は十分な愛情を与えることが大切なのではないでしょうか
そして大人である人は自分自身が飢えてはいないか(欲にハマっていないか)をよく観察してみるのも大切かと思います
今回はここまでです
ここまで読んでいただきありがとうございました^ - ^
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