全ての人は平等であるという考え方
〜ピポブル第26回〜
どーも、こうたです(^ ^)
今回は『全てに人は平等であるという考え方』について書いていこうと思います
1 不平等を平等と思うことはできる
ときどき『不平等だ』と思うことは誰にでもありますよね
しかし、本当に不平等なのでしょうか?
たとえば、頭のいい人が優れていて頭の悪い人が劣っているというのは不平等だといえるかもしれませんが、実際はそれで優劣は決まらないと思うのです
美人の人が幸福で美人でない人は不幸だという考え方も同じようなことです
良い悪いを判断することによって差別というのが生まれてくると思います
いじめだってそうです
ですから、ひとりひとりが頭が悪くても美人ではなくてもお金がなくても決して不平等だということではないと思います
2 不平等と思うことは違う角度から見ると平等だと気づくことができる
誰かが『不平等だ』と腹を立てた時点で少しずつですが世の中はゆがんでしまいます
自らが正しい見解の上、生活しなくては、世の中というのはゆがんでくるばかりではないでしょうか?
頭の良い人はその頭の良さをどのように生かしているでしょうか?
美人の人はその美しさによってどのような結果になっているでしょうか?
幸せそうに見える人でも時と場合によっては不幸な状況になっていることだってあるということです
不幸せそうに見える人でも、気持ちの上では幸せに生きている人だっています
頭の良い人なら誰かから足を引っ張られたり、美人な人ならストーカーによる嫌がらせを受けたり、お金持ちなら突然強盗に襲われたりなどがありますよね
ですから、一生を通して人生を考えた時にだいたい平等にできているのかもしれないと私は思うのです
こういう考え方をすると余計なことで嫉妬や不安や苛立ちを抱えずに済むと私は思っています
人生の途中経過だけで判断しない方が心の余裕ができるのではないでしょうか
美人は薄命と言われたり頭の良い人は病気になりやすかったりしますよね
3 まとめ
あまりうまくいってない人の方が人に優しかったり相手を見下さなかったりしますのでチャンスに恵まれているのではないでしょうか
『「神様は平等に人間を作っている」なんてことはデタラメだ、不平等だ』と腹が立った時はこのような考え方を思い出してもらいたいです
今回も当たり前のような話を最後まで読んでいただきありがとうございました^ - ^
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