正論を吐き出さない方が絶望は見えないということ
〜ピポブル第355回〜
どーも、こうたです(^ ^)
今回は正論を吐き出さない方が絶望は見えないということについて書いていこうと思います。
1 正論を吐き出さないことで絶望は見えなくなるということ
正論を通した時に絶望的な結果になることがありませんか?
正しいことを貫いたはずなのになぜこんな結果になるんだろうと。
あいみょんさんのマリーゴールドという歌の歌詞の一節に「でも不思議なくらいに絶望は見えない」という言葉があります。
本当の気持ち、いわゆる正論を吐き出さない方が絶望は見えないのかもしれません。
信じるという愛によって絶望に向かわないことが誰にでもどこかで気づいているのではないかと思います。
どこかで気づいているであろうその愛に素直にしたがってみるのも悪くはないのかもしれません。
2 正論を通さない先にある何かが大切なのかも知れないということ
正論を通さないことは自分が犠牲になったりよく思われないかもしれません。
わからない人には誤解もされるでしょう。
しかし、いっとき自分が承認されてその時だけ満足しても、その先にあるのは破壊的な結末なのかもしれません。
例えば、軽くいじめられているとき本当のことを上司に言ったりしたくなりますよね。
学校であれば先生に言いたくなります。
大きい声で叫びたくなることもあるでしょう。
しかし、言った結果どうなるかも推測がつきます。
それであの「マリーゴールド」という曲が爆発的にヒットしたのかもしれません。
若い人はさとり世代特有の何かを掴み取っているようですね。
3 まとめ
教える愛もありますが気づかせる愛も相手にとっては大きいです。
昔からある言葉の「一寸の虫にも五分の魂」という言葉からもわかるように、どこかで人は正論よりも愛を選んで生きてきたのかもしれません。
しかし、くれぐれも昨日書いたように自分の体がボロボロになるまで我慢はしない方が良いです。
自分にも愛を持って生きたいものですね。
読んでいただきありがとうございました^ - ^
↓ランキングに参加していますのでクリックしていただけると嬉しいです。