人はどうして困難なことに立ち向かうのか
〜ピポブル第328回〜
どーも、こうたです(^ ^)
今回は人はどうして困難なことに立ち向かうのかについて書いていこうと思います。
1 人はどうして困難なことに立ち向かうのか
アニメを観ていてもドラマを観ていても主人公はここぞとばかりに困難に立ち向かっています。
なぜこんなにも同じようなものを何度も観たくなるのでしょうか?
多分ですが、人は何万年も昔から困難なことでくじけたり負けたりすることを繰り返してきたからなのかもしれません。
大昔はマンモスに立ち向かわなくては飢えて死んでしまうなどありますよね。
中世の戦乱の時代、ヨーロッパなどでも悪いことをしていなくても戦わなくては生きることさえできなかったときもあったのではないでしょうか?
戦わないで済む人生であればどんなに幸せなのだろうと思います。
しかし、戦って勝利したとしても本当に幸せとは限らないのではないかと思うのです。
2 戦わないで残るということ
戦いにはいくつかの犠牲を伴います。
それでは戦わないで済む方法はないのかと考えてしまいますよね。
その方法は「残る」ということなのかもしれません。
企業でも争った人は疲れて辞めていくかもしれません。
どんなにつらくても、ただそこに「残る」ということに意識を向けると達成できるのかもしれません。
一見この方法は「ずるい」と捉えられるかもしれませんが、争うと同等に我慢するのでつらいはずです。
戦うほうは気分が晴れます。
自分の正当性を訴えるのでスッキリするからです。
しかし、多くの人は我慢をして定年を迎えていますよね。
確かに方向を変えて自らの道を選択することは勇気のいることで立派なことだと思います。
ただ同じようにそこに「残る」という人も立派なことだと思うのです。
3 まとめ
人は自分の中でより難しいほうを選択しているのかもしれません。
側から見ると「どうしてそちらを選択するのだろう」と思われてしまうかもしれません。
それは何万年も前からの記憶が遺伝子として残っているからと考えることができます。
「戦う」でも「残る」でも、苦手な方を選択しているのかもしれません。
子供で例えるなら、ピーマンが嫌いな子が最後にピーマンを食べれば完食できるというところまできているのかもしれません。
読んでいただきありがとうございました^ - ^
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