運命は勘次第なのかもしれないということ
〜ピポブル第316回〜
どーも、こうたです(^ ^)
今回は運命は勘次第なのかもしれないということについて書いていこうと思います。
1 理論よりも勘が大切な時もあるということ
運命は勘次第というのは、どんな状況においても選択次第だということです。
その選択をする時に大切なのは理論より勘次第だということです。
なぜ理論では足りないのかというと、頭の良い人の理論は完璧です。
しかしながら、幸せになっているのが必ずしも頭の良い人順ではないですよね。
そこで大切なのは道がわかっているのは最初だけで、最後まではわかっていないということです。
例えば、二本の道があるとします。
右は舗装道路、左は砂利道。
しかし、その道の10キロ先がどうなっているかを目視ではわかりませんよね。
理論というのはあくまでも最初の見えている段階で決めていることが多いです。
ですが、本当に大切なのは最後なのではないかと思います。
2 勘を鍛えるにはどうすれば良いのか?
道を進む際に「進んでいくうちにわかるだろう」と思いがちですが、進んで行ってから間違いに気づいて戻る場合があります。
ですから、結局は勘こそが最短で到達できるのかもしれません。
では、どうすると勘が鍛えられるのか。
それは仏教で言う所の「徳」という仕組みと似ているのかもしれません。
政治家などは不徳によりやめるしかない場合があるように、この「徳」というのと「勘」というのは密接につながっているのではないかと思います。
では、「徳」というのはどうしたら大きくなるのか。
それは自分が多少損をしても相手が幸せになることをするという行動が必要なのかもしれません。
徳が積まれるということです。
3 まとめ
ちなみにどなたでも実験してみるとわかるように、良いことをした後は少しだけ勘が冴え渡ります。
スーパーボランティアと呼ばれる尾畠春夫さんは、おそらくですが相当勘が良くなっていると思います。
勘を鍛えるために自分が損をした方が結果的に得(徳)をするのかもしれませんね。
読んでいただきありがとうございました^ - ^
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