認められなくても頑張り続けることができるかどうかが大切であるということ
〜ピポブル第291回〜
どーも、こうたです(^ ^)
今回は認められなくても頑張り続けることができるかどうかが大切であるということについて書いていこうと思います。
1 承認されなくても頑張ったほうが良いのかもしれないということ
認められたいという欲求は誰にでもあると思います。
いわゆる承認欲求ですね。
しかし、承認されなくても頑張り続けられる人が承認されるのかもしれないと思うのです。
小さい頃に上手くいったら褒めてもらいたいと思って「みてみて」と言った記憶はありませんか?
自分が本当に好きなことであれば誰にも褒めてもらえなくても頑張り続けることができるのかもしれません。
例えば、ゲームをしている時やおいしいものを食べている時などですね(笑)
2 認めさせるにはそれなりに時間を費やす必要があるということ
これからの時代に必要なのは認めてもらうことよりも認めさすことだと思うのです。
認めてもらえなくても頑張り続けることによって振り向いてもらえるかもしれません。
どんなに小さなことでも誰にも見てもらえなくても好きで続けるということや仮に好きではなくても続けていくことによって人々に感動を与えるのかもしれません。
人に感動を与えるのは上手か下手かよりもそれに費やした時間なのかもしれません。
例えば、この作品を作るのにどれくらいの長い時間がかかったのだろうかと想像できる作品は、たとえそれがどんなに単純な作品でも感動を与えるのではないかと思います。
千羽鶴などを作ることもこの一例なのかもしれません。
3 まとめ
想いが伝わるほどの時間の長さがエネルギーになるはずです。
才能とかを超えた次元で費やした時間が感動を与えるということを忘れないで生活していきたいと思います。
読んでいただきありがとうございました^ - ^
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