諦観すると前に進めるということ
〜ピポブル第271回〜
どーも、こうたです(^ ^)
今回は諦観すると前に進めるということについて書いていこうと思います。
1 諦観することで前に進めるということ
最近のドラマで「諦観」という言葉をよく耳にしますが、「諦観」を辞書で調べてみると本質をはっきりと見極めるとか、諦めて悟って超然とすることという意味があるようです。
何かあった時に原因を追求しすぎた結果、あまりにも理不尽な場合、前へ進めなくなることがありませんか?
どう考えても自分が悪くないとか悪い相手が全く反省もせず生活している場合など、腹が立って・立ち止まってしまうのは、悪くない人の場合が多いです。
そのようなとき、一旦諦めて、いつも通りの日常のように振舞っているうちに前へ進めるようになるのではないかと思います。
一旦その問題から距離を置いて、またチャレンジするという感じです。
2 諦観することで自分が成長できるということ
前へ進んだ後に「どうしてこのようなことになったのかな」と自然と納得いくが場合があります。
諦観して前へ進むことによって自分が成長できたりします。
例えば、間違った人のせいで自分が尻拭いをしなくてはならなくなったり、誤解をされて自分が怒られたりと、小さなことは沢山あると思います。
それを諦めて前へ進むことによって、それと同等かそれ以上の良いことが起こりやすくなるのではないかと思うのです。
反対に、一つ一つを良いか悪いかと判断して犯人探しのようなことをしていると、いつまで立っても負の連鎖が起きやすくなるのではないでしょうか?
自分の成長を望むのなら、諦観という思考を意識してみると良いかもしれません。
3 まとめ
「諦観」というものを一人一人が少しだけ心に留めておくと、悪循環から解放されて前へ進めるのではないかと思います。
間違ったことに対しても諦観できる人間を目指すことが大切なのかもしれませんね。
読んでいただきありがとうございました^ - ^
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