天気・天災から気づく自分自身の心について
〜ピポブル第257回〜
どーも、こうたです(^ ^)
今回は天気・天災から気づく自分自身の心について書いていこうと思います。
1 天気と人の思考について
空の上で起きてる天気と地上で起きている人の思考というのはシンクロしているのかもしれません。
ゲリラ豪雨や猛暑日というのは人間の心を表しているのかもしれないということです。
号泣のような悲しみや燃えたぎるような焦りなどですね。
しかし、この解釈の方法は人それぞれで違いが出てきます。
天気の捉え方はどのようにでも捉えることが可能だからです。
例えば、ゲリラ豪雨を号泣と思うか怒りと思うか、快晴を暑すぎると思うか・穏やかととるかなど、人それぞれで捉え方が違います。
天気について考えると自分の心を俯瞰することができるのではないでしょうか?
2 天気によって思考や争いがゼロに戻る
めまぐるしく変わる天気の多いなかで穏やかな天気が一番良いということに気づくのではないでしょうか?
天気は人間の感情の起伏が激しいのと似ています。
相手が自分の鏡だと思えという言葉がありますが、天気も自分の鏡なのかもしれません。
ゲリラ豪雨に遭遇したらハッとしますよね。
一旦頭の中が真っ白になるはずです。
つまり思考がゼロ地点(ゼロポイント)になるということです。
天気は思考をゼロポイントにしてくれる現象です。
災害が起きることで災害前に起きていた喧嘩が一旦収まります。
正論の争いが天気によって収まるということです。
天災によって避難した人達同士で助け合ったりなどの助け合いを生み出しますよね。
大雨で辛いけれど得られる経験というのもあると思います。
自然現象は第六感が動きやすいです。
天災という経験を活かす人はいます。
天災をポジティブに解釈できるのです。
3 天気は恨めないということ
人間相手だと腹が立ちますが、天災が相手だと怒りの矛先をどこに向けたら良いかわかりませんよね。
誰のせいでもなく、怒りの場所がないから自分の心の中でしか考えられません。
天災が起きることで冷静な思考になり、全てのことを受け入れて許すことしかないという答えに辿り着くと思うのです。
恨む相手がいないということは受け入れるしかないということだと否が応にも気づかされるということです。
これを天災、天気で気づくことができるということです。
自然の中で登山やキャンプなどでチャレンジする人は多いですが、天災だと誰でも避けることができませんよね。
天災を乗り越えた人は相当に立派な人格に近づいていると思います。
4 まとめ
天災の時は利己的か利他的かがよく分かります。
人の本性をむき出しにするのが天災だと思うのです。
天災の時に自分がどう動けるかを周りの人に見られているのかもしれません。
相手の醜い姿を見た時も許せるか、協力し合えるかが大事なのかもしれないということです。
自分だけが助かろうとしている人を見て嫌悪感を抑えて許せるかどうかが課題だと思うのです。
天災によって自分がどれくらいの人間だったかを知ることができます。
私自身、震災の時に慌てて真っ先にコンビニに行ってしまったことがありますし、自分もまだこの程度の人間だったのだなと気づきました。
天災を乗り越えられるような思考を目指したいですね。
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