マトリョーシカに学ぶ自分の成り立ち
〜ピポブル第216回〜
どーも、こうたです(^ ^)
今回はマトリョーシカに学ぶ自分の成り立ちについて書いていこうと思います。
1 マトリョーシカは自分の秘めたる可能性を表現しているのかもしれない
マトリョーシカを見るとなんだか不思議な気分になることはありませんか?
マトリョーシカは自分の成り立ちと似ていると考えることはできないでしょうか。
例えば、一番大きいマトリョーシカが本当の自分だと思っていたけれど、それが壊れた時、また新たな自分が登場します。
それを何度繰り返しても新しい自分が登場します。
人もマトリョーシカと同じではないかと思うのです。
自分という存在のなかにまだこんな自分がいたのかと気づくことがあるからです。
どんなに限界が来ても、どんなにうちひしがれることが起きても、また新しい自分は登場します。
ですから、心配する必要も不安に思う必要も全くないのかもしれません。
2 殻が破れると新たな自分が姿を現す
永遠に新しい自分を登場させることは、いつでもできるのかもしれません。
そうは言っても、どうしても変えられないくらい落ちこむ状況やつらい状況もあると思います。
自分が変わろうとしなくても、壊れたら新しい自分が努力と関係なく現れると考えてはどうでしょうか?
どんな人でもどんな状況でも人は新しい視野が必ず生まれ、新しい自分で再生していく生き物だと思います。
マトリョーシカのように、心配しなくても新しい自分は次々と生まれていくのだと考えてみるのも良いかもしれないと思うのです。
3 まとめ
次々に新しい自分が出てくると思うと、もっと気楽に生きていっても良い気がします。
マトリョーシカのようにいろんな自分が次々と現れるのかもしれません。
マトリョーシカに不思議な魅力を感じるのは人間の仕組みが表わされているからなのかもしれませんね。
読んでいただきありがとうございました^ - ^
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